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【続編】「しずかちゃんとパパ」と聾教育の歴史②

こんにちは。ST kouhouです。

STは、言語聴覚士のことで、コミュニケーションとのみ込み(嚥下)を支える医療系国家資格のいる職業です。Speech-Language- Hearing Therapistsの略です。

新潟市北区島見町にある新潟医療福祉大学の言語聴覚学科広報よりお届けします。

 さて,今回は,前回の続編で「聾教育の歴史について」です。前回は,コーダに注目した現在放送中のテレビ番組の紹介も行いました。そのテレビ番組に登場する聾者の野々村純介が,妻に出会うまで手話を使ったことがなかったのは,なぜか?気になるところです。当学科教員の桒原桂准教授に解説していただきました。

前回の復習は,こちらのページをご参照ください

「コーダって何だ?」という方は,こちらのページをご参照ください

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 それでは,聾者の野々村純介が妻の遥さんと出会うまで手話を使ったことがなかった背景についてご説明しておきます。1880年にイタリアのミラノで開かれた第2回聾教育国際会議(ICED:International Congress on the Education of the Deaf)において聾教育での手話の使用を排除することを決議しました。当時は一国家一言語主義だったので、すぐに聾者も音声言語を使えるようにしなければと口話法での聾教育を推進することになりました。それが2010年になって、カナダのバンクーバーで行われた第21回ICEDにてこのミラノ会議の決議が却下されました。このバンクーバー会議では手話は文化を担う一言語であると認められました。

 以降、日本でも鳥取市を皮切りに各自治体で次々に手話を言語と認める「手話言語条例」が施行されています。しかし、1880年から2010年まで長い間、基本的に聾教育は口話法での教育が中心でした。野々村純介が聾学校に通っていた時代は1960年代ころだと推測していますが、その頃は補聴器がようやく市場に出回り始めた頃で、今のような高性能のデジタル補聴器や人工内耳といった重度難聴者でも聞こえるようにする機器はまったく存在していませんでした。そんな中で学校や家庭で手話を使ったら怒られたり罰せられたりするし、聞こえないのに声を出してお話するように強要され、自分たちは苦難の子供時代を送ってきたとおっしゃる聾の方々は多いです。

 その頃の聾学校の子供たちは教師や親に隠れてお友達と自分たちが作成したピジン手話で話していたようです。そんな中で生き抜いてきた聾者たちについてSTを目指すみなさんには特に理解を深めて頂きたいと思って「しずかちゃんとパパ」、ご紹介しました。

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 本学にもコーダをテーマとして卒業論文を書いた卒業生がいます。その卒業論文は,研究室や図書館で読むことができますので,興味のある学生はぜひ読んでみてください。

せっかくの機会なので,手話を一つ紹介します。

「聾」を意味する手話です.